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横浜地方裁判所 昭和38年(ヨ)528号 判決 1966年3月16日

債権者 倉石善敬

債務者 社団法人全日本検数協会

主文

(1)  債務者が債権者に対して、昭和三七年九月一〇日付をもつてした休職処分並びに昭和三八年九月九日付をもつてした解雇処分は、いずれも債権者が債務者に対し提起すべき本案判決の確定するまで、効力を停止する。

(2)  債務者は債権者に対し、金七二一、〇五〇円及び昭和四〇年一一月一日以降本案判決確定に至るまで、毎月末日限り一カ月金一八、九七五円の金員を仮に支払え。

(3)  債権者その余の申請を却下する。

(4)  申請費用は債務者の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者双方の求めた裁判

(一)  債権者

(1)  主文第一項と同旨

(2)  債務者は債権者に対し金三三六、〇〇〇円及び昭和三八年九月一日以降本案判決確定に至るまで毎月末日限り一カ月金二八、〇〇〇円の金員を仮に支払え。

(二)  債務者

(1)  本件申請をいずれも却下する。

(2)  申請費用は債権者の負担とする。

第二、債権者の主張

(一)  債務者は、東京・大阪・名古屋・横浜・神戸・門司・北海道にそれぞれ支部を置き、輸移出入船舶貨物の検数・仕向け・荷捌きを行うことを業としている社団法人であり、債権者は昭和三〇年一〇月三〇日、債務者と労働契約を結び、同日以降債務者の横浜支部で、検数員として勤務してきた者である。

(二)  しかるところ、昭和三七年九月五日、債務者は債権者に対し就業規則第三六条第二号を適用して、同月一〇日付をもつて休職を命ずる旨通告し(以下これを本件休職処分と称する。)爾後一カ年間債権者の就労を拒否し昭和三七年九月分以降の賃金を支払わないできた末、昭和三八年九月一四日に至り、口頭にて債権者に対し、同人を同月九日付でもつて就業規則第三七条第一項、第三九条第四号によつて解雇する旨通告してきた(以下これを本件解雇処分と称する。)。

(三)  而して就業規則該当条項は次のような規定となつている。

(1)  就業規則第三六条 下記の各号の一に該当する時は休職を命ずることがある。

1 (略)。

2 家事の都合その他の事由で欠勤がその連続すると、数回に亘るとを問わず、最近六カ月を通じ三〇日以上に及んだとき。

3 以下略。

(2)  就業規則第三七条 休職は原則として一カ年として休職期間が満了したときは解雇する。

休職期間中は無給とする。(中略)

休職の事由が止んだときは、復職を命ずることが出来る。

(3)  就業規則第三九条 従業員が下記の各号の一に該当する場合は三〇日前に予告するか、又は平均賃金の三〇日分以上を支給して即時解雇する。但し一日につき平均賃金一日分を支払うことにより予告日数を短縮することができる。

1乃至3 (中略)

4 休職期間を過ぎ、復職を命ぜられないとき。

(四)  右記述したところによれば債務者は、債権者に対し、債権者は最近六カ月を通じ欠勤が三〇日以上に及んだとして、本件休職・解雇処分に及んだものと解される。しかしながら本件休職処分は、次のような理由で無効である。

(1)(a)  債務者の横浜支部従業員は、昭和三〇年一二月三一日全日検横浜支部労働組合(以下組合と称す。)を組織した。該組合は昭和三二年四月に全日本検数協会の企業統一が全国的な規模でなされたことに伴い、同年九月全日検労働組合単一組織に統合されたのであるが、横浜支部における労働組合員は約一五〇名にすぎなかつたため、組合としては執行委員長・副執行委員長・書記長のいわゆる組合三役を組合の専従者とするだけの財政的余裕がなくこれら三役は検数作業に従事しながら、組合役員としての仕事も担当しなければならなかつた。しかも検数作業はその作業の性格上、昼夜連続で行なうため、通常の組合のように、夕刻作業を終つてから組合の会議を開くということも出来ない有様であつた。かような事態は他支部の労働組合でも同様であつたため、これが打開策を求め、組合は他支部の労働組合と共に債務者と交渉の結果昭和三三年九月二五日東京の本部における経営協議会で、債務者との間で「就業時間中の組合活動に関する取扱い」と題する協定(以下本件協定という)を締結し、一応の解決を見た。本件協定の内容は左記のとおりである。

(イ) 執行委員会等の各種委員会は、正規執行委員会を以て原則として一カ月三回を超えない範囲で行い、事前に作業担当次長・課・所長と協議の上出来得る限り作業に支障のない時期及び方法をとることとし、前日迄に支部長に願い出るものとする。

(ロ) 拡大執行委員会、評議員会、代議員会その他これに類する会議は出来うる限り回数を月一回以内にとどめ、作業担当次長・課・所長と協議の上、作業に支障のない時期及び方法をとり、原則として三日前迄に支部長に願い出るものとする。

(ハ) 上部団体及び関連団体の会議出席は、人員と回数を最少限度にとどめ、その都度所属長を経て前日迄に支部長に願い出るものとする。

(ニ) 前各条の場合を待機扱いとする。但し前各条(イ)(ロ)(ハ)を通じて一人一カ月の回数を協議の上支部に於いて定めることができる。

(以下略)

而して右(ニ)の回数は横浜支部においては、全体として一カ月当り、二〇回とすることに協定されたのである。なお右にいう待機扱いとは実際は就労していないが、それを出勤扱いとすることを意味する用語である。

(b)  かくして本件協定に従い、組合では必要の生じた場合右一カ月に二〇回の範囲内でその都度債務者側に申し入れ組合活動を行い、債務者側では右申し入れがあると、当該組合員の出勤カード並びに勤務表の就業時間の欄に組合活動とゴム印を押捺し、通例の欠勤とは異なることを明示し、賃金も全額支給され、就業規則第三六条第二号にいう欠勤に入らないものとして取扱われてきたのである。

(c)  ところが、昭和三五年一一月二九日債務者は本件協定を破棄する旨組合に通告して来た。しかし一旦有効に成立した本件協定を使用者たる債務者の一方的通告によつて解約することはできない。本件協定は右通告にかかわらずなお効力を有する。

(d)  仮りに右通告のため、本件協定が効力を失つたとしても債務者が本件協定の失効期と主張する昭和三五年一一月二九日以後もそれ迄になされてきたと同様の取扱いが債務者とその従業員の間でなされていたのであるから組合活動のための不就労は通例の欠勤とは異る扱いをすることが慣行となつて定着しているものということができ、本件協定の失効によつて組合活動による不就労も通例の欠勤と同一の扱いをうけるに至つたなどということはできない。いま前記通告後の組合活動による不就労についての取扱いの実態を述べると、前示出勤カード並びに勤務表の取扱いは従前どおり組合活動なるゴム印が押捺されて、これが通例の欠勤とは異るものであることが表示される取扱いが続けられたのであつて、かような事態は昭和三六年一二月一二日に債務者と組合との間に成立した諸手当の改善、生活補給金、越年手当に関する協定に反映され、越年手当支給の基礎となるべき出勤日数の算定について、組合活動による不就労はその他の事由による欠勤と区別して組合活動のため就労しなかつた日も右出勤日数に含めると協定されていたのである。また、債権者は昭和三五年一二月一六日から昭和三六年五月一五日迄の五カ月間に組合活動のため四八日もの日数就労しなかつたことがあるが、これがため休職処分になることはなかつたのである。前記破棄通告後変化した事態としては唯一つ賃金の支給の点のみである。組合活動のための不就労に対しては、右破棄通告迄は本件協定に従い賃金は全額支給されていたのであるが、通告後は無届欠勤と同様に月給額の二五分の一がカツトされるようになつたのである。しかし、組合活動のために就労しない場合は債務者に届出ているのに、それに対し無届欠勤と同一額のカツトをするのは不当であることが明白であつたから昭和三六年九月四日組合と債務者間で締結された協定によつて、月給額の五〇分の一をカツトすることに改められ、且それ迄二五分の一カツトされていた分についても五〇分の一カツトとの差額を遡つて支払うことになつたのである。かくて、前記破棄通告によつて、不当に不利に扱われてきた組合活動による不就労に対する取り扱いは過去に遡り是正されることになつたのである。しかも債務者横浜支部以外の支部では、本件協定破棄通告後も労使間の協議の結果、組合活動による不就労を破棄通告前と同じく、待機扱いとすることに戻つており横浜支部においても、昭和三八年二月以降はこの取り扱いにならうに至つていたのである。

従つて組合活動のため就労しなかつた場合これを通例の欠勤とは異るものとみて、休職処分に付する事由である六カ月を通じて三〇日以上の欠勤の中に含めないということは、本件協定により先ず明確に打ち出され、その効力が前記破棄通告後もなお存続しているとみられる故に債務者を休職処分に付するには、組合活動による不就労を除いた欠勤が六カ月を通じて三〇日以上なければならない。仮りに右破棄通告により本件協定が失効したとしても、通告後の取り扱いは賃金の支給につき一時混乱はあつたものの組合活動による不就労を通例の欠勤と区別し、休職処分の事由たる欠勤には含めない点は一貫して維持されていたのであるから、かような慣行の確立していたことにより、賃金の支給の点を除けば組合活動のための不就労に対しては、本件協定が有効であつたこと疑いない時期と同一の取り扱いがなされなくてはならなかつたのである。

(e)  ところが、昭和三七年二月の債務者側幹部級の人事異動に伴い、横浜支部の管理職となつた板東支部長、赤木業務次長、中西総務次長らは一方的に本件協定乃至慣行による組合活動による不就労の場合の取り扱いを排除せんと目論み、昭和三七年頃より債務者側は、組合活動による不就労の場合に出勤カードに組合活動のゴム印を押捺せず、ほしいまま届出欠勤なる印を押すようになり、且つ組合活動による不就労は届出欠勤と同一の取扱いを受けると称し、右不就労日も就業規則第三六条第二号の欠勤に入るとして、債権者には最近六カ月間に三〇日以上の欠勤があるとみて、本件休職処分に出たのである。しかしながらこの取扱いの変更については、債務者より組合側に対し何んら申入れ等なされたことなく、従前の前示慣行を変更することを組合側で承諾したことなど全くないのであるから、かかる債務者側の一方的な取扱い方法の変更のため、本件協定乃至前示慣行が改められることなどもとよりありえず、組合活動による不就労は依然就業規則第三六条第二号の欠勤には含まれないものとして取扱われなくてはならない。

(f)  しかるに、債務者は昭和三七年九月五日付文書をもつて債権者には左記のとおりの欠勤日数計六二日があるとして、前同月一〇日限り申請人を休職とする旨通告してきた。

昭和三七年三月分(三月一日以降三月一五日まで)   五日

昭和三七年四月分(三月一六日以降四月一五日まで)  四日

昭和三七年五月分(四月一六日以降五月一五日まで)  三日

昭和三七年六月分(五月一六日以降六月一五日まで)  八日

昭和三七年七月分(六月一六日以降七月一五日まで) 一〇日

昭和三七年八月分(七月一六日以降八月一五日まで) 二五日

昭和三七年九月分(八月一六日以降八月三一日まで)  七日

債権者が組合活動のため就労しなかつた日が、右期間中かなり多かつたことは認めるが、しかし債務者の主張する日数は不正確である。昭和三七年三月乃至五月分の不就労日は正確であるが、同年六月分は八日ではなく七日であり、七月分は一〇日ではなく一一日であり、八月分は二五日ではなく二四日であり、九月分は七日ではなく六日であつて右期間の不就労日の合計日数は六〇日となる。そして右不就労はすべて組合活動のためであつた。即ち、債権者は前記全日検横浜支部労働組合結成以来副執行委員長、書記長、執行委員長を歴任し、且つ同業種の労働者を以て組織している労働組合九組合の上部組織である検数労組共闘会議の事務局長並びに港湾労働者労働組合一五組合でつくつている横浜港湾労働組合連絡協議会の副議長をもつとめていた者であるところ、昭和三七年一月右共闘会議及び連絡協議会は賃上げ及び日曜祝祭日の夜間荷役の廃止を目指し、春闘を行うことになり債権者の属する組合も、これに参加し、同年三月二七日の横浜における全港湾労働者の二四時間ストライキを行つたほか、共闘会議に加つて、同年三月一七日の一時間ストライキ、同月二五日及び同年四月五日の全面時間外ストライキを行ない、同月一〇日の賃上げ妥結を迎えるまで闘いを続けたのであるが、債権者は前示のような地位にあつて右闘争を指導し、さらに右共闘の成果を基に検数関係の七つの労働組合を単一労働組合に統合する機運が生まれたので、債権者はこれが実現に尽力し、昭和三七年四月二三日京浜港検数員労働組合(以下京浜労組という)が結成されるとその執行委員長に就任している。次に右組合は夏季一時金要求の闘争に入り、同年六月初旬から七月初旬にかけて闘いを続け、六月中旬には分会別時限スト二四時間ストを行なつたほか、各分会で職場集会を開いたりしたので、執行委員長である債権者は右闘争の指導のため就労できなくなる日が多くなつた。更に同年七月一日から同月二七日迄の間債権者はモスクワで開かれた世界平和大会に出席するため勤務を休んだがその出席のため旅券獲得交渉などの旅行準備でその前数日間の休務を余儀なくされ結局右旅行のため六月二六日より七月二七日迄就労することができなかつた。そのうち一八日間は年次有給休暇日一四日と右の渡航期間中の公休日四日をもつて充て残余一四日間は組合活動のための不就労日とみることに債務者も同意していた。また昭和三七年八月一日債務者が梅津征一外七名に退職を命じるという事態が発生し、組合はこれが解雇反対闘争にとりくみ、そのため評議員会、分会職場委員会を開いたほか、検数労組共闘会議を開いてその反対闘争について協議した。この問題については、債務者が強硬な態度をとつたので、債権者は組合の態勢を強化するため、八月中旬頃より勤務を休んでその対策に専念せねばならず、結局この問題のため債権者は八月中に一四日に亘り就労できない日ができた。そのほか債権者は全日検分会の闘争態勢を強化する為のオルグ活動に八月一〇日から一三日まで従事した。更に昭和三七年八月二〇日に至ると、債務者が小磯洋右に対し債務者保有の六角橋寮から退寮することを命ずるという事件が発生し、組合としてこれに対し闘争を行なうことを決め、債権者は梅津問題と合わせ、その闘争指導に当つたため就労できない日ができた。八月中の不就労の日は、右以外にも六日あるが、そのうち四日は、八月五日より八日まで神戸で開かれた全日検労働組合の全国代表者会議に横浜代表として出席したための日数であり、残り二日は八月一五日行なわれた横浜地区労働組合協議会大会に於いて債権者が常任幹事としての役務を果すために使われたためである。八月中旬から九月にかけての不就労日六日のうち一日は債権者において、失対打切りの抗議運動に参加したため就労しなかつたものであるが、その他の日は全て梅津問題で就労できなかつたものである。

(g)  従つて、右六〇日の日数は全て組合ないし京浜労組の組合活動のため使われたのであり、債権者は債務者横浜支部に対しその旨届出たうえ就労しなかつたのであり、且つ、右日数は前述の一カ月二〇日の範囲内にとられたものであるから、就業規則第三六条第二号にいう欠勤扱いにすべきでないのに、債務者は不当にも本件協定乃至その後の慣行を無視し、これら日数を欠勤として本件休職処分をなしており、これは就業規則第三六条第二号の適用を誤つたもので無効である。

(2)  債務者が休職処分をなす場合、予め該当者本人に注意し、それでもなお改まらない時に始めて処分するという手続上の慣行が長年に亘り行なわれてきた。例えば昭和三三年一二月には無断欠勤の多かつた稲見栄他七名に対し、同年四月から一二月までの九カ月間の出勤調査票を送付して注意を与えている。また昭和三四年九月には欠勤の多い者に対し、同年四月から九月までの勤務調査票を送付して警告している。しかもその中には右五カ月間で欠勤三一日を算する坂間義郎が含まれていたのであるが、同人に対し休職処分にでたことはなかつたのである。しかるに債権者に対しては本件休職処分発令前かような注意警告は全く出されていない。本件休職処分の発令手続は右慣行に反しており就業規則の適用を誤つた故に無効である。

(3)  さらに、(四)(1)記載の債権者のモスクワにおける世界平和会議の出席のため就労できなくなつた時、債務者はこの出席のため必要な日数のうちより債権者が当時有していた年次有給休暇日数一四日と公休日四日を控除した残余の日を組合活動による不就労日とすることに同意して債権者が渡航する際餞別まで贈つてくれたのである。しかるに本件休職処分の事由とされた欠勤日数のうちに、債務者は右渡航のための日数より前記有給休暇日数と公休日数を控除した日数を加えている。かような処分は信義に反するものであること明らかで権利の濫用にも当り、無効たらざるをえない。

(4)  債権者は(四)(1)記載のとおり組合の役職を歴任し、活溌な組合活動を続け、債務者が行なおうとする労働強化などに対する反対運動を指導していた。債務者はこれに反感を懐き不利益処分である休職処分に出たのであつて、これはまさに労働組合法第七条第一号の不当労働行為にほかならない。本件休職処分は無効である。

(五)  以上の理由で本件休職処分が無効である以上、右休職処分を根拠としてなされた本件解雇も就業規則第三九条第四号、第三七条、第三六条第二号の適用を誤つたか、不当労働行為あるいは権利の濫用として無効ならざるをえない。

(六)  従つて債権者はなお債務者に雇傭された検数員であるところ、債務者のその検数員に対する賃金支払いは、前の月の一六日から当月一五日迄の賃金を当月の二五日に支払うことを建前とし、ただ支払額が一五、〇〇〇円をこえる時は二五日に一五、〇〇〇円のみ支払い残額は当月末日に支払うことになつていた。而して、債権者が昭和三七年三月から同年八月までに支払いをうけた賃金は次のとおりである。

三月分 二〇、二四九円    四月分 二〇、六七一円

五月分 二八、四三二円    六月分 二五、七九一円

七月分  七、七〇九円    八月分 一〇、九九八円

七月上旬支給された夏季一時金     五五、〇〇〇円

合計                一六八、八五〇円

平均一カ月当り            二八、一四二円

(七)  債権者は本件休職・解雇処分の各無効を事由に債権者が検数員の地位を有する旨の確認を求める本訴を提起すべく準備をすすめているが、本訴確定までには相当長期の日時がかかることが予想されるところ、債権者は妻のほか三人の子供をかかえ、しかもこれら子供は高等学校、中学校、小学校といずれも学令期にあつて生活費、学費ともすべて債権者の賃金によつて支えてきたので本件休職並びに解雇処分のため賃金の支払いを受けられなくなつたことにより債権者とその家族は著るしく困窮しており、本訴確定までこれを待つことは債権者に物質的な点はもとより精神的にも回復し難い損失を与えることになる。債権者はこれ迄のところ、組合員からの救援資金で辛うじてその生活を維持してはいるものの、右救援資金は実質的には借金なのであり、これが故に保全の必要性なしなどということはできないし、京浜港検数員労働組合は組合員数約三五〇名程度の資力のない組合で現に専従者の書記局員を一名雇傭しているので、債権者をも専従者とするだけの余裕はないのでかかる手段によつて、本訴確定までの債権者の困窮を免れさせることもできない。

そこで債権者は、本件休職・解雇処分の効力を仮に停止し、且つ右休職処分以後本案判決確定迄の間本来債権者に支給さるべき平均賃金の範囲内で、毎月末日限り一カ月二八、〇〇〇円ずつの賃金の仮払いを求める。

第三、債務者の答弁及び主張

(一)  債権者の主張第一乃至第三項は認める。

(二)  債権者の主張第四項のうち

(債権者の主張(四)(1)(a)に対して)

(1)(a)  債務者横浜支部の従業員が債権者主張のとおりの日時にその主張の組合を組織し、これが主張どおりの経過で単一組織に統合されたこと、昭和三三年九月二五日に債権者主張どおりの内容の本件協定が組合と債務者の間で締結されたこと、待機扱いなる取扱いが債権者の主張するようなものであること、本件協定によつて右の待機扱いをなすことを許す回数が債権者が主張するとおり定まつたことは認める。その余の主張は否認する。組合は永年に亘り専従者として書記次長の在原稔を雇傭している程の財力を有しているのであつて、専従者をかかえるだけの余裕がない旨の債権者の主張は事実に反する。また組合から組合活動を夕刻に行なう旨の届出のあつた場合は債務者は組合の執行部全員を定時に作業が終了する部署に配置するようにしていたのであるから、債権者のいうような検数作業の性格上昼夜連続の作業が通例であつたため、通常の組合のように夕刻作業終了後組合の会議を開くということも出来ない有様であつたなどということはないのである。

(債権者の主張(四)(1)(b)に対して)

(b)  債権者の主張する如き取扱いがなされていたことは認めるが、それは昭和三三年九月二五日から昭和三五年一一月二九日までの間だけのことである。昭和三五年一一月三〇日以後はかような取扱いはなされていない。

(債権者の主張(四)(1)(c)に対して)

(c)  昭和三五年一一月二九日限り本件協定が失効した旨債権者が主張していることは認める。本件協定は期間の定めのないものである。そこで債務者は、労働組合法第一五条第三及び第四項の規定にもとづき、九〇日の予告期間をおき、これを昭和三五年八月三一日に解約通告した。よつて右九〇日の期間経過により本件協定は同年一一月二九日限り失効したのである。

債務者が昭和三五年一一月二九日に本件協定の破棄通告をなしたとの債権者の主張は事実に反する。その余の債権者の主張は失当である。これは既に述べたところより明らかであろう。

(債権者の主張(四)(1)(d)に対して)

(d)  本件協定破棄通告後組合活動による不就労の場合、賃金は二五分の一がカツトされるようになつたこと、それがその後五〇分の一カツトと改められたことは認めるが、その余はすべて否認する。

右の賃金カツト額が改められた時期は昭和三六年一二月一日であつて、債権者の主張する日時は誤りである。そもそも本件協定は組合活動に対して経費を援助する目的など有するものでなく、港湾作業の実態に鑑み、作業の閑散時の待機時間中に組合活動をなすことを認める趣旨のものであつた。ところが、これがいつしか拡大解釈され、労働組合より正規の申入さえあれば、組合活動は自由になしえて、且つ、基準内の賃金が確保されるとの風潮を生むに至つた。特に横浜支部では本件協定の第四項(第二(四)(1)(a)(ニ)項)記載の回数を協議の結果、債権者も認めるとおり、組合執行部に対し一カ月二〇日の枠を定めたのであるが、これを使用するに際しては全日数を執行委員の一人に限定してもよい旨確認されていたので一人の執行委員があたかも専従者の如く活動することも可能であつた。殊に当時の書記長らは執行委員一人宛につき各一カ月当り二〇日の枠があるなどと主張する有様でかような考え方が現在まで尾をひき、労働組合活動は就業時間中と否とを問わず、何ものにも優先し、且つ賃金は当然全額保障さるべきであるとの考えが組合側を支配しているのである。かような本件協定を曲解する考えが、昭和三四年度年末手当要求闘争の際発生した債務者大阪支部における交渉時の支部長室集団坐り込み抗議あるいは職場内のデモ行進等を団体交渉として取扱い賃金を補償せよという要求となつて現われ、右要求は組合側より大阪地方労働委員会へ申立てられ、該事件は和解成立により落着したのであるが、その際審査委員より就業時間中の組合活動に対し賃金を支給する如き趣旨の本件協定の存在が組合をして、組合活動最優先の誤つた見解を生む原因となつているとの指摘があり、労使ともに正常な慣行を作るべきである旨勧告された。そこで債務者は本件協定を破棄することが正常な慣行をつくる前提と考え、前示(c)記載のとおり、九〇日の予告期間を置き、昭和三五年八月三一日に本件協定破棄通告をなしたのである。続いて同年九月一六、一七の両日組合と中央労使協議会をもち、前記破棄通告の趣旨を説明すると共に新協定原案を提示し、組合側の検討を要求した。また同年一一月二二日にも同じく中央労使協議会をもち新協定の審議検討を行なつた。しかしながら労働組合法第二条に基き組合活動に対し金銭的補償をしないとの原則をあくまでも貫こうとする債務者の主張と、従前どおり賃金の補償を求める組合側の主張とは対立したまま何んの協議も調わないまま昭和三五年一一月二九日限りで本件協定の失効並びに当日以降無協約状態に入ることを両者確認しただけで物別れになつた。その後もこの取扱いについて交渉がもたれたことがあつたが、何んら成果なく今日に至つたのである。

無協約状態となるや、債務者横浜支部では、本部よりの指示に基き経営協議会、団交時における組合活動以外の就業時間中の組合活動のための不就労に対しては賃金を支給しないとの方針で月給額の二五分の一をカツトすることにした。而して昭和三五年一二月一六日より昭和三六年八月一五日までの間に債権者の組合活動による不就労は合計五五日間に及んだのであるが、このうち昭和三五年一二月一六日より昭和三六年一月一五日までの間の一四日間に及ぶ不就労は、当時債務者横浜支部に統合されていた旧京港検数株式会社の元代表者が旧社の従業員を引き連れて債務者より分れる事態が生じ債権者はこれに附随する組合活動のため就労することができなくなつたためであつたので、企業分離が起因している点を考慮し五〇分の一カツトにとどめたのと、昭和三六年一月一六日より同年二月一五日までの間の九日間に及ぶ不就労は企業分離後の諸整理のため就業時間中の閑散時に組合活動をなしたものと認め賃金カツトを行なわなかつたのと、昭和三六年四月頃に経営協議会に出席のため就労しなかつた一日を待機扱いとして賃金カツトしなかつたこと並びに右不就労日を徹休や公休日に振替えた四日間を除く二七日間は建前どおり、賃金を二五分の一カツトしたのである。そのうえ右五〇分の一カツトをした日を加えると当時債権者には欠勤日数とみうる不就労日が六カ月を通じて三〇日以上になつていたのであるが、しかし無協約状態における債務者側の方針は本部よりの指示にもとづき、賃金を全く支給しないことになる二五分の一カツトをした組合活動による不就労日は欠勤扱いとしないことになつていたので債権者に対し休職命令が発せられることはなかつた。債権者の主張する昭和三五年一二月一六日から昭和三六年五月一五日までの四八日間に及ぶ不就労日に、休職が命令されなかつたのは右のような方針からであつた。なお右不就労日の日数は誤りで正しくは三六日である。

かような債務者の取扱いに対し、組合側から反対運動がなされた。その理由とするところは、一般の届出欠勤ならば賃金の五〇分の一がカツトされるにすぎないのに、同様届出をしたうえで就労しない場合に賃金を二五分の一カツトするのは組合活動を不利益に扱うものであるというにある。これに対し債務者横浜支部側は組合活動による不就労は一般の届出欠勤と性質を異にするものであり、組合活動のための賃金減少は組合において補償すべきである旨説いたが、組合はこれを聞き入れなかつた。そこで横浜支部では本部総務部長に相談したところ、組合が組合活動による不就労を届出欠勤として取扱われることを望むなら一般の届出欠勤として扱つてよい旨指示があつたので、昭和三六年一二月一日債務者横浜支部は組合に対し、これまで組合活動を事由に就労しなかつた場合、賃金の二五分の一をカツトしていたのを改め、五〇分の一カツトにとどめることにした。これにより組合活動のための不就労は届出欠勤と全く同一の扱いをうけることになり、そこで右不就労日も就業規則第三六条第二号の適用をうけることになつたのである。なおこの改定の際従前二五分の一カツトした分についても遡つて五〇分の一カツトとの差額が支払われたので、この点よりみると前記の昭和三五年一二月一六日から昭和三六年五月一五日までの間の三六日に及ぶ債権者の組合活動による不就労も遡つて届出欠勤ということになつて、休職命令が発せられるべきことにもなるわけであるが、しかし右差額の支払われた一二月一日を基準としてみれば、最近六カ月間に三〇日以上欠勤したことにはならないし、又かような処置を遡つてなすことは妥当でないと考えられたので、結局このときは一応問題とはなつたものの債権者に対し休職命令は発せられなかつたのである。

次に、債権者は本件協定破棄失効後も、出勤カード並びに勤務表の取扱いは何んら変化がなかつた旨主張し、そのいうところの慣行論の根拠としているが、これは事実に反する。債権者のいう出勤カードと勤務表とは同一物であり、いずれも債務者側の作業課で検数員の出勤状況の実態を把握するため便宜的に記載しているものにすぎず、その表示方法は債務者側の当該検数員の不就労に対する評価を示すものではない。それは右出勤表が総務課にまわりそこで処理されて始めて明らかになるのである。従つて作業課における表示方法がどうであろうとそれを根拠にして慣行を持ち出すことはできない。昭和三六年一二月一二日に債権者の主張にかかる協定が締結されたけれどもそれに債権者の述べるような事態が反映されていることなどない。右協定において越年手当支給の算定基礎となる出勤日数には組合活動による賃金カツト日数を加える旨の文言があるけれども、これは越年手当に関する紛争の過程における実力行使を伴う不就労つまりストライキ日数を指すのであつて組合活動による賃金カツト日数の全てを指すものではない。これは右協定が締結された後で成立した昭和三七年四月一八日付覚書第三項で確認されている。

(債権者の主張(四)(1)(e)に対して)

(e)  債権者主張の如き取扱いの変更は、本件協定の解約並びに昭和三六年一二月一日の債務者・組合間の賃金カツト等についての合意((d)記載のとおり)に従い、当然なされなければならないことをなしたまでであつて、何ら非難さるべき点はない。

(債権者の主張(四)(1)(f)に対して)

(f)  債務者において債権者主張のとおりの六二日に及ぶ欠勤を事由とし、債権者主張どおりの日時に、債権者を休職させる旨通告したことは認める。右不就労日の日数は正確であり、債権者の主張は誤つている。而して債権者のいう組合活動のうち、オルグ活動従事の事実、梅津征一らの退職問題について債権者の反対闘争展開のため就労できなくなつたとの点並びに失対打切り抗議運動参加の事実は不知であるが、その余の事実は認める。

(債権者の主張(四)(1)(g)に対して)

(g)  争う。

(債権者の主張(四)(2)の主張に対して)

(2)  債権者の主張は否認する。なるほど欠勤の多い者に対し債務者の方から警告を発した事実はある。しかしそれは無届欠勤者に限られていたのであつて、それは無届欠勤は就業規則第六四条第三号によつて懲戒処分の事由となるので、予め警告を与え、かかる懲戒処分を避けようとの意図でなされたもので、懲戒事由にはならない届出欠勤の場合までかかる警告をなす慣行はなかつた。しかも債権者の例示する坂間義輝の届出欠勤数は一九日間にすぎず、休職処分の該当者ではなかつた。債権者自身についていえば、その不就労の日の多いことについて債務者側の板東支部長、赤木業務部次長、中西総務部次長あるいは宮下作業課長心得より数回に亘り注意を与え、組合専従者となることをも勧めたが、債権者はこれに耳を傾けなかつたのである。債務者としてこれをもはや放置するわけにいかなくなつたので、休職命令を発したのであるが、その際にも、発令の五日前に予告を発した程である。

(債権者の主張(四)(3)に対して)

(3)  債権者の主張のうちモスクワ渡航のため必要な日数のうち一四日は年次有給休暇を、四日は公休日をそれぞれ充てることとしたこと、渡航に際し債務者が餞別を贈つたこと並びに本件休職処分の事由である欠勤日数に、右渡航のための日数から年次有給休暇日数一四日と公休日四日を控除した残余の日数が加えられていることは認める。その余の事実は争う。右残余日数については組合よりは基準内賃金を保障してもらいたい、そのため右日数は特別休暇扱いをされたい旨申入れがあつたけれども、債務者側としてはこれを拒否し、休職願出をしてもらい組合専従者として渡航してもらいたいと話したが、組合はその要求をともかく債務者本部に伝えてもらいたいと申入れるので横浜支部ではこれを本部に伝えて、本部とも検討の結果、右残余日数を特別休暇とすることはできない、届出欠勤として扱う旨決め組合もこの線を承諾し、昭和三七年六月二五日付の申入書でこの線に沿つた届出をしてきたのである。従つて右残余日数を届出欠勤とすることは組合・債権者とも同意していたのであるから、これを休職命令の事由である欠勤日数に加えたとしても何んら不当なことはない。しかも右残余日数一四日を除外しても、債権者の欠勤日数は問題とされている六カ月間で四八日あるので、債権者の主張は理由がない。

(債権者の主張(四)(4)に対して)

(4)  債権者が主張どおり組合の役職を歴任したことは認めるがその余の主張は否認する。債務者は債権者を休職処分に処すに当つても(2)記載のとおり事前に数回警告を発している程であり、不当労働行為の意図など全く有していなかつた。

(三) 債権者の主張第五項は争う。本件休職処分は就業規則第三六条第二号に則り正当になされたものであることは、これ迄述べたとおりである。そして本件休職処分後も債務者は、債権者の復職のため組合との話し合いをもつなど債権者の企業内復帰への努力を怠らなかつたのであるが、債権者が本件休職処分の撤回を固執して歩み寄りをみせず、そのまま一カ年を経過したため、就業規則第三七条、第三九条第四号により本件解雇処分に出ざるをえなかつたのであつて、不当労働行為あるいは権利の濫用などにならぬことは明らかである。

(四) 債権者の主張第六項のうち債務者の債権者に対する賃金支払の方法期日が債権者の主張どおりであること並びに債権者の昭和三七年四、五、六月分の賃金が債権者の主張するとおりの金額であることは認めるが債権者がなお債務者に雇傭された検数員であることは否認する。

(五) 債権者の主張第七項のうち、債権者に保全の必要がある旨の主張は争う。即ち、本件休職処分前三カ月間に債権者に対し支払われた賃金額は、合計四四、四九八円、手取額は一四、九六〇円にすぎず、これをもつて、その生計を維持することは不可能といえる。本件休職処分当時債権者は債務者の従業員として、労働契約にもとづき、労務を提供してその対価として賃金の支払いを受け、それによつて自らの生計を維持することを必要とする状況にはなかつたし、また組合は現に専従者を雇傭しているのであつて、財政的余裕なしとする債権者の主張も事実に反する。

第四、疎明<省略>

理由

(一)  債権者の主張第一ないし第三項は当事者間に争いがない。

(二)  昭和三三年九月二五日債権者の主張どおりの内容を有する本件協定が組合と債務者間で締結されたこと、右協定及びこれに付属する債務者横浜支部と組合間の協定により組合員が本件協定第一乃至第三項(第二(四)(1)(a)中の(イ)ないし(ハ)に示す条項)に定める組合活動をなす場合一カ月当り二〇回までの枠内で、組合よりその旨届出があれば、その従業者を待機扱いとして、出勤したものとみなしていたことは当事者間に争いがないが、債権者は本件協定がなお有効に存続すると主張し、債務者はこれを争うので、これについて検討する。疎乙第二号証の一及び二(いずれも成立に争いない)、証人田中達夫、同在原稔の各証言によると、本件協定は有効期間の定めのない労働協約であつたところ、昭和三五年八月三一日、債務者より同日付文書により組合に対し、右同日より九〇日後に当る同年一一月二九日限りで解約する旨予告されたことが認められ、右認定に反する疎明はない。従つて、本件協定は右解約により昭和三五年一一月二九日限り失効したと解するほかないことになる。債権者の主張(第二(四)(1)(C))は失当である。

(三)  そこで進んで、本件協定の解約による失効後の組合活動のための不就労の場合の取扱いにつき検討する。

疎甲第五号証の一及び二、第六号証、第一五号証の一ないし一五、第一九号証、第二九号証の一乃至四、第三四号証、疎乙第四号証、第六号証の一、第七号証、第一〇号証、第一二及び第一三号証(いずれも成立に争いない)、疎甲第八及び第九号証(債権者本人尋問の結果により真正に成立したものと認める)、疎甲第一四及び第二七号証(弁論の全趣旨より真正に成立したものと認める)、疎甲第三〇号証の一及び二(証人在原稔の証言により真正に成立したものと認める)、疎乙第六号証の二、第九号証の三、第二一号証(証人中西弘の証言により真正に成立したものと認める)、疎乙第九号証の四(弁論の全趣旨より真正に成立したものと認める)、証人田中達夫、同在原稔、同中西弘、同板東信夫(但し証人中西弘、同板東信夫については後記措信しない部分を除く)の各証言、債権者本人尋問の結果に弁論の全趣旨をあわせると次の事実が認定できる。

債務者の業務である検数作業はその性格上、昼夜連続して行なうことが多く、これに従事する債権者ら検数員は、必然的に昼間の就労後も引続き労働し続けなくてはならぬことがむしろ常態という労働条件に置かれていた。そこで検数員は労働組合活動をなすにも通例の労働者のように夕刻仕事から解放されて後に組合の会議などを開くことなど望めなかつたうえ、組合にはいわゆる組合三役を全て専従者として待遇するだけの経済力もなかつたため、かなり以前から団体交渉などの活動は勿論のこと、その他執行委員会の開催のため、組合役員を検数作業より離脱させて、右組合活動を行なわせ、その間の賃金は一般の欠勤の場合より有利な支給を考慮しようとの機運が労使間に醸し出されており、既に一部実施されていた地区も存した。これが債務者側の企業統一と並行し、労働組合側の統合もなると、全国的な規模で、且つ明文化した協約の形で右のような権利を確保しようとして、労働組合側は中央で債務者と交渉を重ねた末、本件協定の成立をみたのであつた。本件協定は、その直接の対象を執行委員会等の各種委員会これよりは一段と規模の大きい代議員会等の組合会議及び上部・関連団体の会議に参加する場合に一応限定して、その回数についても制限をおくこととされてはいたが、さきに認定したとおり、債務者協会横浜支部と組合との間ではその枠を一カ月当り二〇回と協定したことから、右列挙の場合に限らず、組合役員が組合活動のため就労することができない場合でも、右回数の範囲内ではこれを欠勤扱いとせず、いわゆる待機扱いとして賃金が保障されるとの解釈と慣行を生むに至り、債務者側においても右回数枠の範囲内ならこれを容認する取扱いをしてきた。ところが昭和三四年度年末手当要求闘争の際発生した債務者協会大阪支部における紛争が大阪府地方労働委員会へ審査事件として係属した際審査委員より本件協定は結果的には組合に対して経済的援助を与えることになり不当ではないかと指摘された債務者は、かように解されるおそれのある本件協定を破棄する意図をかため、(二)認定のとおりの経過でこれを解約するに至つた。かように債務者が本件協定を解約するにいたつた理由は、就業時間中の組合活動に対し経済的な援助を与える結果になるおそれあることを避けようとしたもので、右活動をなすことにより不就労となつた検数員を就業規則上の届出欠勤の場合と同一視しようとしたものではなかつた。このことは、本件協定破棄通告後、これが代案として昭和三五年九月一六日の中央労使協議会において債務者が示したものの骨子が組合活動による不就労に対しては賃金を全く支給しないこととするが、他方右不就労は欠勤扱いとせず労働条件決定に不利益な取扱いをしないというものであつたことからも明らかに看取できることである。一方、組合側は、本件協定が昭和三五年一一月二九日限り失効すること、並びにその後は無協約状態になることは容認したものの、債務者の提示した代案は賃金不支給の点で余りにも不利なものであるから、締結できないとし、今後は各支部ごとにこの問題を処理していく旨債務者と話し合うにとどめた。かくてこの問題は各支部で実態に則し解決さるべきことになつたのであるが、その問題点は賃金カツトの点であり、組合活動による不就労を一般の届出欠勤と同一視すべきか否かは、かくべつ問題とされたことはなかつた。而してその後における組合と債務者協会横浜支部との交渉も、終始賃金カツト額について討議され、全額カツトである月給額の二五分の一カツトを主張する債務者協会横浜支部側と従前どおり賃金はカツトしないことを主張する組合側とで意見は対立したまま妥協点を見出せなかつたのであるが、その間本件協定失効後の組合役員の組合活動による不就労に対し、債務者協会横浜支部は、企業分離に伴う組合整理などの、主として債務者側の事態変化のため必要とされた組合事務のため債権者ら組合役員が就労しなかつた場合を除くと、組合活動のための不就労に対し賃金の二五分の一カツト(全額カツト)を実施してくるようになつた。組合はこれに反対し、賃金カツト撤廃を要求し、債務者協会横浜支部と交渉をもつたのであるが、昭和三六年九月四日の交渉の際、組合より組合活動により就労しない場合はその旨予め支部長に届出ているのであるから、右の労務の不提供の態様は、組合活動のためという面を除くと、届出欠勤の場合と同じことになるのに、これを届出欠勤の場合の五〇分の一カツトをこえ、無届欠勤の場合と同一の二五分の一カツトまでするのは組合運動のためという目的から考えて、届出たうえで就労しない者に不利益な取扱いをすることになり、不当労働行為になるのではないかとの主張がなされ、債務者協会横浜支部もこの理に屈し、本部に問い合わせたうえ、この主張に従い、カツト額は五〇分の一にとどめることにし、且つ、それ迄二五分の一カツトしていた分についても、その五〇分の一カツトとの差額を遡つて支給することにし、これを昭和三六年一二月一日債権者らに支払つた。なお、組合役員が組合活動のため就労しない場合の手続上の取扱いについては、従業員の個人的理由による届出欠勤の場合には所定の用紙による個人名義の欠勤届を提出するのと異り本件協定の存続中から、組合から債務者協会に対する申入書と題する書面を予め提出するに止まり、個人名義の届出書を提出することはなく、また当該役員の勤務カードにも組合活動と記入する取扱いがされており、本件協定の失効後も特にこの扱いが変えられたことはなく、ただ昭和三七年に入つて以後は勤務カードの記載が連絡休と改められているにすぎない。また前示カツト額が五〇分の一に改められることになつた昭和三六年九月頃、債権者にはその頃以前六カ月間に組合活動のため就労しなかつた日が三〇日を超えていた事実があつたのに、債務者側からこれを指摘して、休職命令の発せられることあるを注意するような動きは全くみられなかつた。

以上の事実が認められ、証人剣持弘、同中西弘、同板東信夫の各証言中、右認定に反する部分は措信することができず、疎乙第三号証の三、第二〇、第二一号証、疎甲第三二号証の各記載中、右認定に反する部分も採用することはできないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上認定の事実によると本件協定失効後にあつても、組合活動のための不就労については、失効前と同様これを就業規則上不利益取扱いの事由とされる欠勤扱いとはしない方針が労使双方を通じ存続していたのであつて、双方の関心事たる問題はその不就労に対する賃金の保障をいかなる程度みるかということが残つていたにすぎなかつたのであり、本件協定解約当初賃金不支給を建前とした債務者側も、届出欠勤との関係を比較較量しての組合側の論陣に一歩後退し、結局は五〇分の一カツトにとどめることになつたとみるのが相当であつて、この点についての債権者の主張は正当である。なお右のような就業時間中の組合活動(団体交渉等を除く)を欠勤とせぬ扱いも、労働組合運動の過程において組合が獲得した権利であつて、そこには使用者たる債務者側の支配介入意思などとみるべくもないのであるから、かような取扱い慣行をもつて不当労働行為の疑いありなどと云えないことは明らかであろう。

(四)  従つて、債務者が就業規則第三六条第二号で定める休職事由たる欠勤には、組合活動による不就労は含まれないことになるので本訴においては、債務者が債権者の欠勤が三〇日以上あつた期間として取上げる昭和三七年三月一日より同年八月三一日までの六カ月間に、債権者の不就労日で且つ労働組合運動のためのものではなかつた日が三〇日以上あるかを検討しなくてはならない。

疎甲第九号証(債権者本人尋問の結果により真正に成立したものと認める)、第三三号証(証人在原稔の証言により真正に成立したものと認める)、第三四号証(真正に成立したことに争いがない)、疎乙第一七号証、第一八号証の一(真正に成立したことに争いがない)、証人中西弘の証言に弁論の全趣旨をあわせると、前示期間中の債権者の不就労日で、組合から債権者の組合活動を理由に(但し、昭和三七年六月二六日から同年七月末日まではモスクワにおける世界平和大会出席を理由に)、債権者を業務配置から除外してもらいたい旨の申入書をもつて届出たもののうち、債務者側で連絡休または届出欠勤として取扱つた日が六二日間あること、右六二日間のうちには、債権者がモスクワの世界平和大会に参加した期間およびその出発準備と帰国後の報告等の残務処理のため必要として就労しなかつた期間、すなわち昭和三七年六月二六日から同年八月三日までの三九日間のうち、有給休暇および公休日をもつて振りかえられた一八日間(この点は当事者間に争いがない)を除く二一日間が含まれていることを認めることができ、この認定を動かすに足る証拠はない。

ところで、債権者がモスクワの世界平和大会に出席したため欠勤したことをもつて、組合活動のため必要なものであつたとみることは相当でない。そもそも労働組合運動として保護される行為は、労働条件の改善に資するものでなくてはならぬところ右大会は世界平和評議会代表委員会の呼びかけによつて、「全般的軍縮と平和のための世界大会」と呼称して開かれた会議であること公知の事実であり、日本からの参加者も広く社会の各階層から出ていて、労働組合の代表者は数えるほどしかいなかつたこと債権者本人尋問の結果によつても明らかであるから、これに参加することが、組合活動としての労働条件の改善のためとは直接的つながりはなく、結局は政治活動とみるほかないからである。(なお、債権者は更に、右日数を組合活動のための不就労日として出勤扱いにすることを債務者も承諾していたと述べるけれども、疎乙第一七号証によれば、債権者は債務者に対し、右日数を届出欠勤として取扱われるよう申入れていることが認められ、また債務者が右のような承諾を与えたと認めるに足る証拠はないから、この主張は採ることができない。)しかし、前認定の六二日間のうち、右の二一日問を除いた残りの四一日間については疎甲第三三号証、疎甲第三四号証、債権者本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を綜合すると、いずれも債権者主張のとおり組合活動、即ちオルグ活動、梅津征一らの退職問題、並びに検数労組共闘会議あるいは横浜港湾荷役労働組合連絡協議会のもとでの春闘、京浜労組結成運動、同労組による夏季一時金要求闘争、小磯洋右退寮問題、全日検労働組合全国代表者会議出席、横浜地区労働組合協議会大会の幹事役として事務処理等に費やされて、そのため就労できなかつた(「並びに」以下列挙の事項については当事者間に争いない)ことが認められるので、結局この四一日間については、就業規則第三六条第二号所定の休職事由たる欠勤の扱いをすることができなかつたといわなければならない。

してみると、本件で問題とされる昭和三七年三月一日から同年八月三一日までの六カ月間に債権者が組合活動以外の事由で欠勤し、就業規則第三六条第二号所定の休職事由の対象とさるべきであつた日数は、二一日にすぎず、未だ同号所定の三〇日を超えてはいなかつたことになる。しかるに債務者は、債権者に就業規則第三六条第二号所定の事由ありとして、本件休職処分にでたのであるから、これは就業規則の適用を誤つた無効の処分たらざるをえず、従つてまた、本件休職処分が有効なことを前提として就業規則第三七条第一項、第三九条第四号を適用して、債権者を解雇処分に付したことも、無効とさるべきものである。

(五)  従つて、債権者は依然債務者(横浜支部)の検数員たる地位を有するところ、債権者が昭和三七年四月から同年六月までに支払いをうけた賃金額が、債権者主張のとおりであり、且つ各賃金額が一五、〇〇〇円をこえる際には、毎月二五日に右一五、〇〇〇円、毎月末にその残額を支払うものとされていること並びに昭和三七年九月以降債務者は債権者の就労を拒否し、賃金を支払わないでいることは当事者間に争いなく、疎甲第二八号証の一六、二〇、二一(いずれも成立に争いない)によると、債権者が昭和三七年三月、七月、八月に支払いをうけた賃金額がそれぞれ金二〇、二四九円、金一六、四九七円、金一〇、九九八円であることは明らかであるが、債権者主張の夏季一時金についてはこれを立証しうるに足る証拠はないので、右六カ月間の支給金額(但し、右のうち七月分については右認定額の内金である金七、七〇九円が債権者の主張限度額なので、これに従う)合計の六分の一たる金一八、九七五円を遅くも毎月末限り、債務者に支払いを請求しうる権利を有するところ、このうち本件口頭弁論終結時たる昭和四〇年一一月二五日までに既に履行期の到来している昭和四〇年一〇月末日までの合計金額は金七二一、〇五〇円となるので、債務者は債権者に対し右金員及び昭和四〇年一一月一日以降毎月末に一カ月当り金一八、九七五円の金員を支払う義務がある。

而して債権者本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、債権者は検数員として稼働する給料によりその家族との生活を維持してきていたこと、京浜労組は現に一名の専従者を雇傭して組合業務に従事させているものの、さらに債権者まで専従者とするだけの財力を有しないことが認められるので本件は保全の必要あること明らかである。

(六)  よつて、債権者の本件申請は本件休職処分および解雇処分の効力の停止並びに金七二一、〇五〇円及び昭和四〇年一一月一日以降一カ月当り毎月末に金一八、九七五円の金員の支払いを求める限度において相当であるから、これを認容し、その余は失当であるから、これを却下することとし、申請費用の負担については民事訴訟法第九二条但書を適用し、主文のとおり判決する

(裁判官 石沢健 藤浦照生 谷川克)

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